先週末(4/4)より人数の上限等を設定して運営してきたところですが、政府から緊急事態宣言が発令されたことにより、県内でも緊急事態措置について発表がありました。
それらを受けて、ロックキューブの今後の運営については以下の通りと致します。
コロナ感染状況等に応じて変更がある場合があります。
目次
今後の期間毎の運営方法について
<4/8~21の2週間>
完全な閉鎖。一切の営業を行ないません。
<4/22~5/5の2週間>
状況を確認しながら、完全な閉鎖または制限しながら営業。
制限しながら営業する場合
予約を前提として営業を行うようにします。
予約がない場合お店は開けません。
予約がある場合でも、利用可能な日および時間を限定し、終日の利用はできません。
また同じ時間帯に利用できる人数を大幅に制限するなど調整しますので、ご希望の時間に登れないこともあります。
<5/6以降の2週間>
4/4の運営方法に戻します。
上記期間における月パスや回数券の有効期間につきましては適切に処理させていただきます。
上記運営方法の根拠
上記の6週間の運営方法は、都医師会が国よりも先んじて出した医療的緊急事態宣言に基づいての判断です。(判断に誤りがあったときは適宜修正していきます)
この宣言によれば、
「新型コロナウイルス感染症に、もしも今この瞬間から、東京で誰一人も新しく感染しなかったら、2週間後には、ほとんど新しい患者さんは増えなくなり、その2週間後には、ほとんどの患者さんが治っていて、その2週間後には、街にウイルスを持った患者さんがいなくなります。」
という推移が可能とのことです。
この予想される推移には希望があります。その希望にかけた形での判断です。
事業の継続とコロナ対応のバランスの難しさ
誰も経験したことのない事象が起きていますから、対応が難しいのは当然です。
もし、このまま感染者の増加が進んでいってしまった場合、まず医療現場の崩壊が起きます。海外から伝えられてくる医療現場崩壊の事例には、想像を超えるような実態が表されています。
一緒に登っている仲間には医療の現場で働いている方が何人もいます。
本来であれば、仕事で緊張にさらされている人にこそ登って欲しいし、話もしたいし、不要不急であるクライミングが少しでも何かの役に立てればと思っています。でも、実態はそうはなっていなくて、そのような方々の中には、疲労や遠慮からジムに登りに来なくなっている方もいます。
すでに大変な医療現場を崩壊させないために、仲間を危険にさらさないようにという小さなサポートという応援になればいいなと。
それと同時に事業の継続についても考えなくてはなりません。
コロナが収まったときに、さぁ登ろうとなったときに、「ホーム」と呼んでくれている人たちが帰ってくる場所としてなくてはならないと思っています。
あるもの全て必ずいつかはなくなるものですが、「コロナによってなくなる」のはシャクだから。それは今じゃない、そう思っています。
クライミング続けてれば、いつか、どっかでまた会えるだろうと思ってますが、コロナで急に会えなくなってそのまんまっていうのは、それはそれでさみしいことですからね。
みんなコロナの対応に疲れてる
誰が誰のことを責める必要もないでしょう。
気にしながら登っている人、遠慮して登る頻度を減らしている人、全く登らないで我慢してる人。
完全に営業をストップしているジム、制限をかけて営業しているジム、注意しながら営業をしているジム。
登らなければコロナは拡がらないし、コロナを拡げないように気をつけながら登ることもできるかもしれないし、お店は営業しなければ続かないし、営業することでコロナを拡げてしまうかもしれないし。
きっと、みんな誰かのことを考えて行動しています。
一緒に登ってる仲間にうつしたくない、収束したらもう一度前と同じようにみんなで登ってもらいたい、ジムに迷惑をかけられない、少しでもジムに貢献できれば。
なんかそれで十分な気もします。
SNS上では、登ってない人が登っている人を責め立てたり、そんなこともあるようですが。あんまりそういうのは見たくないから。
もっと疲れてしまうでしょ。
読む必要のない個人的感想
緊急事態という非日常の中で、私権が制限されているのが現在です。
”自粛”という掛け声のもと行動を制限され、それが今回の発令でより強化されることになると思います。それ自体は、コロナの収束に向けて必要なことだと思います。が、同時に、周りからの同調圧力のようなものに違和感を感じます。
自粛の要請、それに応じる個人。
個人の判断は正誤は別にして基本的には尊重されるものだし(公序良俗などの一定範囲の限定は有するものの)、そもそも何が正しいのかは一律に確定できるものではなく、立場によって正しさが異なってくるはずです。
(そもそも”自粛”と”同調圧力”という言葉は明らかに対義のものなんじゃないかなと)
自分の判断とは異なるそれに触れた時に、その差異を埋めようとするのであれば(しなくてもいいけど)話をすればいいだけ。それを、一般論として否定のしようのない”正しさ”をふりかざして、かつ同調圧力のようなものを利用するのは”正しく”ないというのが個人的感想です。
最後に
クライミングだからな、みんなガンバ!
(「頑張り過ぎるなよ」とも思っている。)
大丈夫、乗り越えられる。